ではここから、「なぜ感じるのか?」を掘り下げていきたいと思っている。
先ず内観として「感じている」のは、大前提として「時間」の作用が必要であるとして、
まずは脳活動の結果。脳活動は脳内物質の作用。脳内物質は脳および人体の生成物、人体はDNAにより生じた。DNAは太古に生まれた自己複製をするタンパク質。タンパク質はアミノ酸、アミノ酸、アミノ酸は高分子、分子、原子、量子、エネルギー。
物質は時間、それによって生まれた空間によって存在となる。超弦理論によれば物質は数式の結果。この世界が、ある壮大な数式(コード)に沿って演算された結果だとした場合を考える。
先ず、コード自体では何もなさず、そこに演算する役割(CPUなど)が存在するはずである。それを動かすのは電源の様なエネルギー(この世界の概念であるエネルギーではない上位のもの)が必要だろう、それによって「時間」が生じる。
この世界に働く力の内、重力は時間と空間に作用している。ほかの力は作用していない。生じた物質が「感じる」を獲得するに至るには、世界をつかさどるコードが物質→分子→生物へと繋がるものでなければならない。
ではどの時点で「感じる」が生じているのか?外界の事象による反応と定義すると、それは人、動物、植物、原始静物、DNA、分子、原子、量子と掘り下げていくと、外界の事象による反応とは、すべての物質の振る舞いであるという事とに帰結して、すべての物質は「感じている」という事になる!
しかしそれだけでは「感じている」=物質の相互作用=コードの演算結果とはならない。それは客観的事象であり、そこには「私が」と言う主観が無いから。私が感じているとは一体なんだ?(「私」は先に述べた様に、客観的事象の積み重ねによる幻影の自覚であり、もっと単純化すれば相互作用の結果。)
つまり本当にあるか無いかはこの世界の様に定かではない。私が「感じている」その「感じ」とは?私が無ければ「感じ」もあり得ない?いや、今実際に自分は感じている。「感じ」には生物、物質それぞれに程度規模があるので、時間微分をして最小単位とした場合、それは定数「変化値」となる。変化値の時間の積み重ねが事象であり記憶であり、脳内では時間は存在せず変化値だけを記録している。時間を作っているのは観測者の感覚である。じゃあそもそも時間は存在していない?????