TAKUMA KANEKO

The Oil Paint Art

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絵画考察

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ひまわりについて(フィボナッチ数列)

以前、富良野でひまわり畑を描いた事があり、ひまわりの種の並びに関心を抱いていた。

以前の「フラクタル」などでもあったように、自然や個々の植物を見ていると幾何学的であったり、何かの法則の基に構成されているに違いないと思えるものがある。

「ひまわり」はその内側の種の配列模様に何か法則があるのではと思っていた。

それは「そうなるべくして」そのような形になったのであり、偶然ではなく必然的に出来上がったものなので、そのタネを明かされると驚き嬉しくなってしまう。

今までNHK教育テレビなどは殆ど見ていなかったのだが子どもがいると見る機会がある。
先日、偶然見てなるほどと思った映像。

内側から外側へ向かって一番密に効率良く並べる形を、ひまわりは長年かけ身をもって作り上げてきたのだろう。そしてその角度が「フィボナッチ数列」から出される「黄金比」の角度であると言う事だった。

古来より人が「美しい」と思ってきた比率が、自然の仕組みと繋がっている事、さらに数式で説明されることは驚きである。

ひまわりがこの「黄金比」を知っていて種を配列したのでないのと同じく、モナリザの顔の比率などは作者の美の感覚的なものからその様になっていったのではないかと自分は思う。
絵画には意図するところと意図しない所の要素があらゆる場所に含まれている。
絵を数学的幾何学模様のみで描いてしまうと、そこには「固さ」しか感じられなくなる。人の手による「不完全さ」も必要な要素なる。(2008年5月の記事に同じ事を書いていたが、「人の手でコントロールすること」と言う記述は今では少し異なると考えている。)

映画の「ひまわり」やフィボナッチ数列の「ひまわり」、今回ものに限らず他の様々な経験は自分の中に溜められて表現につながっていると思っている。すぐには応用できないが。

2014年2月1日土曜日


「夜の絵」と「昼の絵」

絵を始めるきっかけになった中学時代の担任の美術の先生が、以前絵を始た頃、「夜に絵を描くと夜の絵になるから・」と言っていたのが頭に残っている。その時は「夜の絵?」と思いアンリ・ルソーか何かの絵柄が頭に浮かんだ位であまり分からなかった。以降それについて注意を払うようになってから何となくその意味が分かってきた。
夜は周りの騒音や雑用が無いので集中がしやすい。眠気から解放されると気持ちが盛り上がりやすくなって、作られた作品は濃厚、濃密になる。「作品」と言ったのは、絵だけに限らないからだと思うから。恋文などは夜に書いてはいけないとよく言われる。朝見ると読めた物ではないらしい。書いたことは無いけれど。
井上義彦の「バカボンド」を読んだ時、これはたぶん夜に描かれているのではないのかな、と感じた。後半など特に世界観が濃密になっていた。

表現によっては夜に書いた方がいいものもある。自分の表現しようとしている絵の世界観は「昼間より」の物だと思っているので、出来るだけ日中に描こうとしている。個展前などではそうもいかず夜中まで描くこともある。そうするとつい筆を入れすぎて「濃密」になり雰囲気が変わってくる。

アンリ・ルソーの作品は夜描いたのだろうか昼描いたのだろうか。
彼が生きていた時代はまだ夜の照明が発達していなかったから絵は日中描いていたのだろう。

2013年2月16日土曜日


光について

「もっと光を」と、色彩論を書いたゲーテは亡くなる間際に言ったらしいが、暗く色彩のない部屋で最期をむかえるのは厭だったのだろうか。
冬至前後は屋外と共に室内が暗くなるのも早くなってくる。もっと光が欲しくなる。日中、外では十分な光で描けているのだが、室内で加筆修正したり、外で作った絵から大きな作品を作ろうとするとその時の明るさと光の色の違いに違和感を感じ悩まされる。

理科の話。光の「スペクトル分布(引用:http://i-zukan.net/より)」は屋外の太陽光(または空の光)と室内の普通の蛍光灯では大きく違っている。下の分布図では、太陽光と蛍光灯のそれぞれの波長での色の強さが分かる。太陽光はすべての色(波長)で連続して強くあるのに対して、蛍光灯は偏った特定の色域だけを強く持っている。

家庭用の蛍光灯では、ある特定の範囲の色は良く見える。
太陽光の色の移り変わりが平均的なのに対して、蛍光灯ではよく見える色とあまり見えない(見分けられない)色が出てくる。
照らす光は絵の画面に対して、各色をうつし出すもので、蛍光灯の光では絵の赤や黄色から緑の間の色、緑から青の色の違いがはっきり見えなくなってしまう。風景画では青や緑の使い分けが重要なので、それが見えず分からないまま描くのは、まるで鼻をつまんで食事しているような感じになってしまう。外からの自然な光のない夜に蛍光灯などの下で風景画を日中と同条件の見え方で描くのは、色の使い分けに関して至難の業なのである。
太陽光の下では見えていた黄緑~緑の微妙な違いが蛍光灯だと同じに見えてしまう。そうやって出来た絵は色の表現の幅が狭くなってしまうのである。
しかし屋内で描かなければいけない事も多くあるので、各色を出来るだけ見れる光源にしようと、今は高演色性の蛍光管を使っている。太陽の光とまではいかないが各波長の色をまんべんなく持っている。下はスペクトル分布図。
一般の蛍光灯のスペクトル分布

高演色蛍光灯のスペクトル分布

太陽光のスペクトル分布(一例)

「夜一生懸命描いて、朝、外の光に照らされて見たら全く大した事のない絵に見えて落ち込んだ。」と言った事はよくある話だけれど、夜の照明と太陽の光の演色性の違いも一つの理由になると思う。

しかし、絵を鑑賞するのは普通屋内なので、窓から自然光(直射日光でない)が当たるような場所に飾ってあったり、照明の整った美術館でない限り、鑑賞者が本当の色の豊かさを普段感じることは余りないかも知れない。

良い絵の条件は色だけではない、とも言う事になる。

2013年1月6日日曜日


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